2022年09月30日
長蛇となった献花の人々

大変な長蛇となった献花の人々。
政治家の死に即して、どのようにふるまおうかという美意識が、身近に目にする報道や情報とはかけ離れた範囲で共有されていることに、安堵する。
葬儀を拡声器と怒号で妨害する動きは、きわめて限られた規模にとどまった。
意見の異同はあれども、人の死に向けての慎みについては、いまだ広く共有あるものと感ず。
逸脱が、あの規模ならば、どのような場合にも一定数生ずる、常軌を逸した層ということか。
我々が、学童学生であったころ、故郷の街で大音量の怒号をまき散らしていた、暴力団系の街宣車とよく似た様式と心情なのだろう。
儀礼を終えた今からこそ、故人の足跡につき、正の功績と負の過罪、および両面半ばする業績とにわたって、広く精密に振り返る視点をもって、これからの選択に根拠を得るための討議に入るべきであろう。
各勢力のためにする分析と転用は、不毛かつ有害だ。
次の選択への指針を、正否両面からつかみ取るべく、論議をなし認識を深めて検討してゆこう。
それが、先に立ち往くすべての先人に対する手向けであるはずと思う。
Posted by 濱ノ屋与太郎 at 17:33│Comments(0)
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